自己紹介|石井翔一朗:絵描き少年がイラスト会社を立ち上げるまで  | グーチョキ・タイムス

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自己紹介|石井翔一朗:絵描き少年がイラスト会社を立ち上げるまで 

#スタッフ紹介

こんにちは!株式会社グーチョキパース 代表取締役の石井翔一朗です!
今回は、私がどのようにして「手描きパース」という仕事に出会い、そして自分の会社を立ち上げるまでに至ったかのヒストリーを書いてみたいと思います!

子どものころは「絵ばかりを描いている少年」

物心ついたころから、絵を描くことが好きな子どもでした。
小学生のころには、コロコロコミックやコミックボンボンなどの少年誌に出てくる、モンスターやロボット、キャラクターを自由帳に模写しては、クラスメイト達に見せて回っていました。好きな授業はもちろん図工の時間。
「将来は漫画家になりたいな~」――そんな風に考えていた少年時代でした。

絵を描く少年
モンスターやロボットで自由帳を埋め尽くす少年時代

高校生で出会った「デザイン」という言葉

その後、高校進学の時には、なんとなく「絵の道に進みたいな~」と思い、地元埼玉の、[新座総合技術高校 工業デザイン科(現:デザイン科)]へと入学しました。
ここでは、プロダクトデザインや製図、ポスター制作など、絵と工業の中間のような学びを経験しました。「デザイン」という言葉を初めて意識しはじめたのもこの頃です。
そして将来は、電通や博報堂へ就職して、佐藤可士和のような一流のグラフィックデザイナーになりたいな!と、18歳ながらもライフプランを定めていったのです。

美大受験と、すいどーばた美術予備校で過ごした3浪時代

さて、佐藤可士和になるために、「まずは藝大、美大に入らなければならない!」と受験したのですが、現役時では不合格。悔しさをバネに、美術予備校「すいどーばた美術学院」に通うことを決めます。
ここで私は、デッサン・色彩構成・立体構成といった美大入試の基礎をゼロから学び直しました。
それまでの「感覚で描く」から、「考えながら、構造を理解して描く」へと変化。
今の仕事の基礎になる“観察力”や“形をとらえる考え方”は、この予備校時代に鍛えられたものがほとんどベースになっていると思います。

石膏デッサンをする人々
美術予備校で石膏デッサンを通して観察力を磨く

3浪という長い時間でしたが、結果的には、このときの経験が自分の根っこを作ってくれました。
そしてついに、多摩美術大学グラフィックデザイン学科に合格。念願の美大生になります。

美大入学、そして中退

多摩美では刺激的な毎日でした。
周りにはおもしろい人たちが集まり、楽しいサークル活動や一人暮らしライフ。
デザインの考え方、色の扱い方、プレゼンテーション、――たくさんのことを学ぶつもりでした。
が、しかし、一年が経つころ、実は家の経済状況が厳しく、学費を払えないことが判明、、、!

あっけなく中退することを余儀なくされたのでした。

その後2年間はフリーター生活!アルバイトを転々としながら、「自分はいったい何をしたいのか」を考え続けました。

日建設計との出会い ― 建築パースの世界へ

そんな折、偶然にも設計事務所の手描きパース制作チームでの人員募集があると聞きました。
その当時は“建築パース”という言葉すら知らなかったのですが、「絵が描ける仕事なら!」と思い、面接・実技試験をどうにか乗り越え、入社します。

最初のうちは失敗の連続。
線がゆがむ、パースが狂う、スケールが取れない、水彩絵の具の色が濁る!
常に改善点の指摘があり、また自分でも悔しく、ひたすら建築パースを描き続ける日々。
そして描けば描くほど、「建築を絵で伝える」という仕事がとても楽しく、やりがいのある仕事だと感じるようになっていったのです。

遅くまで仕事をする様子

次第に少しずつスキルも身に付き、社内でも認められるようになり、大きなプロジェクトにも関わらせてもらえるようになりました。
日建設計での10年間は、建築イラストレーターとしての土台をつくる修業時代でした。

コロナがくれた転機 ― 「社長になろう」と思った日

2020年、新型コロナウイルスの流行で世の中が止まりました。
在宅勤務の中では、ゆとりのある生活となり、「このままでいいのだろうか?」と、自分のキャリアプランについて思い返す時間が増えました。
「人生は一度きりだし、どうせなら、社長になってみたい、自分の名前で勝負したい。
自分の持つ絵のスキルを、もっと自由に届けてみたい、、、!」

しかし同時に、現実的な不安も浮かびます。
「子どもが3人もいるのに、会社を辞めても大丈夫なのか?」
自分ひとりの人生ではなく守るべき家族がいる。責任の大きさには迷いもありました。

悩んだ末に、ある日、意を決して妻に打ち明けました。
「実は、会社を辞めて、独立しようかどうか迷ってるんだ……」と話し始めると、
妻は少し黙って聞いたあとに、こう言いました。

「え? てか、なんで起業しないの?」

拍子抜けするくらいの一言。
反対されると思っていた私は、驚きつつもその言葉に救われました。
家族の不安や未来のことまで飲み込んだうえで、それでも「やればいい」と言ってくれる人がいる。
その瞬間、胸の中で曇っていた迷いがすっと消えていくのを感じました。

こうして私は覚悟を決めました。

そして勤続10年を迎えたタイミングで退職
2023年11月1日-株式会社グーチョキパースを設立。
会社名の「グーチョキパース」は、覚えやすくキャッチーなこと 自分らしく、すこしふざけた感じがあること ③ジャンケンのように様々な出し手(絵のスタイル)が出せること「グーチョキパー」と建築「パース」をかけて、命名をさせていただきました。

創業からの嵐の日々、そして仲間の存在

最初のうちは仕事の波に飲まれる毎日。
制作だけではなく、営業や経理も全部自分ひとり。
夜中まで描いて、朝には帳簿に仕訳、休む暇もない日々。
つらいけど、独特のヒリヒリ感、人生の中で感じたことのない感じ。
少しずつ案件やお取引先様も増えてきて、会社としての形が見えてきました。

やがてスタッフも増え、事務所の中もにぎわうようになってきました。
それぞれの得意分野を生かしながらチームで動けるようになり、最近ではようやく「組織」として動き出したのではないかと感じています。

これからのグーチョキパース

「手描きパース」は、ただのイラストではなく、設計士やプランナーの想いを伝えるためのより良い手段だと感じます。図面では伝わりづらい雰囲気や、そこで起きる楽しい空間を伝える。
それを一枚の平面上のイラストで表現できることが、我々にとって楽しいのです。

今後は、若い世代への教育や、手描き文化の継承にも力を入れていきたいと思っています。
また同時に、様々な挑戦として、商品開発やライフスタイルブランドの立ち上げ、アート・クラフトの分野にも視野を広げています。
グーチョキパースを「絵を描く会社」から「文化を描く会社」へと育てていくことが、今の私の目標です!

おわりに

ここまで読んでくださり、誠にありがとうございます!
私の人生は、ずっと絵を描くことに支えられてきました。
これからも、線一本に心を込めて、建築やまちの魅力を描き続けていきます!

手描きパース、建築イラストのご発注はぜひとも株式会社グーチョキパースへ!

この記事の著者

山下 翔一朗

株式会社グーチョキパース代表取締役/1988年埼玉県川越市生まれ。小さいときから絵を描くことが好きで、美術高校・美術予備校・美術大学で、美術やデザインの基礎を学ぶ。多摩美術大学を中退後、日建設計イラストレーションスタジオにて10年間、手描きパース制作に従事し、数多くの大規模プロジェクトに携わる。その後独立し、株式会社グーチョキパースを設立。手描きパースや建築イラストを、設計事務所、不動産開発会社、広告企業など多様なクライアントへ作品を提供している。

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